卵が先か鶏が先か…ということについて、生物学的な見地からは「鶏が先である」という見解が出されているようですが…。
しかし進化論的にさかのぼると最初の鶏はかならず卵から生まれたわけで、ということはやはり卵が先なのではないかと思ったのですが、しかし最初の鶏を生んだ卵というのは、はたして命題が指すところの「鶏の卵」というべきか否か…。
命題における「卵」とは「鶏が産んだ、鶏を生む卵」というのが正確な定義となるわけで…ということは、最初の鶏を生んだ卵というのは鶏ではないなにかが産んだものだから命題の「卵」には当てはまらず、つまりやはり、鶏が先なのだろうか…。
というようなことを延々と考えました。
こういうのをいわゆる「卵が先か鶏が先か」という…つまり
考えても無駄な話というわけですね。
うまい! そのうまさメジャー級! 山田くーん、とうさんに座布団を食べさせてください(←)
そんなことはともかく、LRのCDなんて買っちゃいました。
買ってから知った、音楽、下村さんだったのね…そら好きだわ。
そいと字がちいさくてみづらい自分のサイト。(←)
ちいさくした本人が音を上げてどうするんでしょう。 ばかだね。 ばーかばーか。
たぶんそのうち大きくなってます。 そしてきっと「もっとすっきりしたい…」という欲求とファイルの多さとの間で悶々とするのだろう。 学習しません。
でもちょっとタグやCSSを打ったときに宅の名前を見て、ふと思ったことがある。
宅の名前は「Happiness consists in contentment.」という英語の慣用句からとっていますが、これは直訳すると「幸福は満足の中にある」となります。
しかしわたしの基本姿勢として、「人間満足したらつまらない」と思っている部分がありまして…。 一見すると矛盾しているこのふたつがどうしてわたしのなかで並立しているのか、ということを考えたのですが…。
つまるところこういうことだ。 満ち足りようとして追い求めるその姿勢にこそわたしは幸福を見出している。 なにかが足りないということを感じ続けることこそがわたしにとって満ち足りているということなのだろうと。
まさに「卵が先か鶏が先か」。 というよりもむしろメビウス。 これがわたしの元気の源か…。
というわけで元気です。 それにしてもわたしはいったい、なににたどり着くつもりなんでしょう。 なにかイデア的なものがあるような気がしていて、そこにたどり着きたいと思っているようなのですが。
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