わたしの書きたいものってなんなんだろうな…とか考えてみました。
結論:非日常の中の日常。
常態でない状態のなかにある常態、みたいな…
三国志も幻水も、自分のいる世界とは違う世界という意味で、日常的ではあり得ないんですけど、その非日常的な世界に暮らす人たちの日常的なしぐさを書きたいとか。
わたしたちの身の回りには、鎧で武装していたり紋章で魔法使ったりする人はいませんから、そういう意味で彼らの存在そのものも非日常的です。
非日常の中にまぎれこんだ日常、日常の中に紛れ込んだ非日常、ふたつは二律背反的に扱われますから決して同一になることはありません。 どちらに分類されるかはかなり流動的ですが。
溶け合うことのないものがねじ込まれている、その状況にわたしたちは面白味を感じたり、新鮮味を感じたりします。 理解の範疇を超えると、嫌悪したり拒絶したりします。
書いてるわたしは日常世界の住人ですが、非日常的なものを描くことで日常から脱却する。 非日常的なものは非日常で構成されているはずですが、そこに日常が交じる。 そうやってこう、非日常と日常をいったりきたりするのが楽しいんだな…と思いました。
日常ってな、えてして退屈なものですが、非日常的な人たちが演じる日常というのは、あくまで非日常の中で行われている「ごっこ遊び」のようなものなので、それは全体として非日常のまま保たれている。
ほんとうに日常になってしまったら、面白くないんです、きっと。
そうすると今度は、「非日常的な人たち」の演じる「日常の中の非日常」、みたいなものも書きたくなったりとか。
ただ人間は日常に属する存在なんだと思います、日常の側から、非日常を探したり見つけたり観察したりしている。 で、理解とか慣れるとかいう作業は、非日常を日常に取り込む作業で。 新鮮味がなくなるのはそういうことだろうな、とか。
まあ人間には忘却っていう素晴らしいシステムがあるんで、死んだ魚みたいに腐らないようにはなってると思いますけど。
なんだかぐだぐだ書いてたら話が右往左往しだしたので、追記におろします…。
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