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ちとにっき

永遠に 生きるがごとく 夢をみる !

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明るい未来が見えています

ひとむかし前に「豊かさ」の定義についての議論がはやりましたが、そもそも決着ってついたのかしらね。
物心ついたときにはすでにバブルなんざ崩壊してて、実生活的な部分でのむかしの「豊かさ」を知らないわたしにとって、あの議論っていうのは単なる「むかしはよかった」論にしか感じられなくて、アナクロだなあと思ってました。
まああらためて考えてみると「豊かさ」とは何か、ということについて特に明確な解を用意できるわけではないんですが、ふと逆ってどうなんだろうと思って。
「豊かさ」の反対って「貧しさ」かなと思ったんですが、日本には「貧すれば鈍す」ということわざがありますね。 鈍す、というのは、自分以外の人のことを思いやれなくなったり、悪いことをしても心が痛まなくなったり、要するに心の機微にうとくなるってことだ。
他人を傷つける言葉や身勝手な行動、そういうものは貧しさ、あるいは貧しいこころからやってくる。 ということは、そういう未熟な部分をそぎ落としていけば、少なくとも「貧しさ」からは脱却できるのじゃないかと思ったわけですよ。
「気は長く 心は丸く 腹立てず 口つつしめば 命長かり」というわけか。 語尾が違うような。
たしかに気の短いひとは損ですよ。 なにかあるたびにイライラカリカリして、自分で自分の寿命を縮めているようなもんですからね。 そいでそんなふうにいつでも爆弾みたいになってると、周囲の人も危ながって近づいてこないですよ。 そいで人間だって動物ですから周囲にハンドリング(飼育的な意味で)してくれるひとがいないとよけい凶暴化しちゃって、簡単に他人を傷つけたりしますよ。 そんなやつに誰が近づきますかってんで以下略。
でもまあ、個人的に思うのは、人間は言語化された意思を持ってるんですよねー。 自分のなかに、自分とは別の意思を仮想的に作り上げることができるんですよ。 「それでいいの?」と自分で自分に問いかけることができる、ということは、自分で自分にハンドリングを施すことだってできるはずなんです、まあ物理的にはどうかわかんないけど。
ただみずからの「貧しさ」に気づくには、他者との比較が必要不可欠だな。 自分以外の存在がいて初めて、ひとは自分を自分だと認識するわけだから。
でもいったん自己という認識が芽生えたあとは、ずっと己との戦いってことか。 まず真の敵は己のなかにいるってことをわかるのに時間がかかるか。 でも敵という認識が存在し続ける限り真の勝利というものは訪れないわけで…なにしろ相手が自分ってことは、打ち負かしてしまったらそれは己の存在を否定することになるわけで…。
やっぱり人間、最終的に目指すべき勝利とは「へッ…やるじゃねえか、おめェ」「フッ…貴様もな」なんつって、手なり肩なりガシッ、そして大団円、アンコール、みんなありがとー!みたいな、そういう感じってことか。 うんそれ、いいな。 展望が明るいな。

けっきょくわたしのあたまのなかはすごく明るいってことでいいですか。 そうですね。(←)

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