きのうの続きであたまの体操というか、書いたり考えたりしているうちに思い出したので書いておこうと思う。
現代日本でもっとも意味を勘違いされているんじゃないかということわざ「情けは人のためならず」。
まあ、あれだ、いちおう意味を書いておくと、「他人に情けをかけることは、めぐりめぐってかならず自分のためになることだから、情け深く生きなさいよ」ということですが。
しかし仏教的に言うと、「情けは人のためならず」と思って行動することも「有漏善」、要は利己心をもって他人に親切にすることであり、それは無漏善に比べて劣る、と。(「漏」は「煩悩」の意)
人間は常に「末那識」つまり煩悩に引きずられながら生きていますので、ほんとにまじりっけなしで利己心がないっていう善を行うことは、ほぼ不可能だと。
しかしまあ、たとえ利己心のまじる有漏善であってもやらないよりはまし、とも言ってくれているのですが。
仏教ってほんとうなんていうか、身も蓋もないところがあって、そういうところが好きです。 つきつめっぷりが半端ねえ。
たとえば宗教によくある絶対的唯一存在についてとかさ。 絶対的だといわれているものは、相対的なものと比較して絶対的なわけだから、それは相対的にみて絶対的なのであって、絶対的に絶対的であるわけではない、とかさ。
考えてるとあたまがピーガーなるんですが、うん、まあ、そうだな、あれだ。
そこへいくと「仏法は無量無辺。 小さなお前の思枠を物足りさすものであろうはずがない」というわけだ。 アリンコ(@二十世紀少年)ってことだな。
わたしは結局のところまだ、言語によって切り取るやり方でしか世界を見ることができないんだな…。
当面の最大目標は「解脱」にしようと思いました。 今日。
[2回]
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