今日インターネットのニュースを見ながらふと思った。
いまの世の中に溢れているものは、「情報」ではなくて「恣意」なのではないかと…。
まじめなニュースからバラエティ系まで、いまはさまざまなコラムがいろんなところで読めますが、もっともらしく書いてあるそれらの、いったいどこまでが信頼できる事実なのだろう…と。
いまのわたしたちのあたまのなかにある社会情勢やらなんやらのいろいろな知識の、いったいどれだけが「本物の知識」なんだろうかな。 他人からの受け売りじゃないものって、どれくらいあるのかしらん。
大学の恩師がよく「原典は読んだの?」っていろんな学生に訊いてたんですよね。 そういうことなんだろうな。 いろんな人がいろんなことについていろんな研究をしてて、だからいろんな意見がある。 それを読むと、なるほどそれも一理ある(ように見える)ってんで、なんとなくわかったような気になるんだよね。
でもそれはその人の解釈、その人が研究しているそのものまるごとではない。 もしかしたら自分の意見をうまく正当化できるところだけを抜き出しているのかもしれない。 そういう可能性というのは、かならずある。
さまざまなコラムが読めるいまの世の中に溢れているもの、それが誰かにとって都合のいい「言い分」でしかない可能性を否定することって、たぶんできないんだろう。
だからこそ、ソースを読む力ってほんとう大事なんだなって思います。 情報処理能力っていうのはそういうもののことを言うんだろう。
小学校の社会の授業なんかで、2つのグラフや表を見比べて、どっちがどうで、とか考えるのありますけど、あれってじつはものすごく大事だったんだな。 違いを見つけるだけじゃなくて、それがどういう事実を示したものなのかってことを読めるようになるってことが、情報を手に入れるってことなんだ。
うわー勉強しないとっていう気分になった。 知らないということはおそろしいことだ。
でも自分がばかだって知ってるだけでもましってこと? ソクラテスよおしえてくれ。
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