満員の電車。
俺はこれがきらいだ。
予備校への通学時間はそう短くもないのに、こんなに人がいるのでは落ち着いて本も読めやしない。
しかも、地下鉄。
風景すら拝めないのだ。
おまけに最近、もうひとつ頭痛の種が増えた。
「おっ」
きた。
俺は思いっきり眉間に皺を寄せた。
「石田、今日も張り切ってるね」
にやにやと笑いながら、すぐ隣に何故かあの教師がいる。
このふざけた面を、できることなら今すぐ張り倒してやりたい。
こいつは島といって、俺がいるクラスの英語の教師だ。
「おはようございます」
「おはようさん。 通学中も勉強か、えらいぞ」
出せうる限りの冷たい声のつもりで挨拶をしても、暖簾に腕押し。
話しかける声の調子がいやらしい。 俺に何の用だ。
「…こんなところで先生が生徒に話しかけていいんですか」
「かまわないさ。 道中解説することだってあるしね」
俺は学校の教員じゃないんでね、と、もっともなのかそうでないのかよくわからない理屈をこねる。
だからって、ほかにもこの地下鉄に乗ってくる生徒はたくさんいるだろうに、なぜ俺にばかり話しかけてくるのか。
気付かれないようにしても、狙いすましたように近くに乗っている。
鬱陶しいことこの上ない。
「ところで何読んでるんだ?」
「……なんだっていいでしょう」
「つれないなぁ、答えるくらいいいだろう」
「話しかけないでクダサイ」
「まあそういわずに」
何を言ってもヘラヘラとかわされる。
あまり度が過ぎるとセクハラだかアカハラだかになるのだが、俺にはそこまで強硬な態度に出られない理由があった。
実を言うと、俺は英語が苦手だ。
苦手と言っても、他の奴らに負けはしないし、克服するためにより力を注いできた。
そんな俺の英語の成績が、この島という教師が担当になってからというもの、飛躍的に伸びたのだ。
それこそ、いままではカバーの対象だったものが、武器になるほどに。
島は最近、隣県の名門予備校から引き抜かれてきたらしい。
大柄で背が高く、強面で、ともするとそちらの世界の人間にも見えるのだが、中身はどうして、県内トップの実績を誇るこの予備校の最難関コースを受け持って、悠々結果を出す凄腕の教師だった。
悔しいし認めたくないが、俺の英語の成績が伸びたのは奴のおかげだ。
なにしろわかりやすい。 わからなければわかるまでとことん付き合ってくれるし、個人指導もうまい。
他の奴ら…特に女子生徒だが…にも、猛烈に人気があるのだ。
それがいっそう腹が立つ。
何で俺にまとわりつくのだ!
「そういえば石田、この前の模試」
唐突に話題を振られる。
あの模試はずいぶん難易度が高かったが、俺はしっかりと9割代をキープした。
「大問3の文整序、苦手だって言ってたし難しかったのによくできてたな」
「あ……あれは…」
模試を受ける前に島に教えてもらっていたところだ。
「今度もその調子でがんばろうな」
にっこり笑われて、すっかり調子が狂ってしまう。
こんなに生徒一人一人の能力と成長を把握している教師には、今まで出会ったことがない。
不覚にも、特別に思われているような、錯覚すら覚えてしまう。
「石田?」
覗き込まれたが、今俺は変な顔をしている。
見せられなくて、意固地になって本に顔を隠した。
「石田~?」
ああもう、話しかけるなというのに!