この、「414」もしくは「141」。
同性同士のカップリングにおける仮想的な性別的役割分担が固定的でないことを示す表記のしかた。
ひらたく言うと「リバ表記」。
まあ、趙馬趙でも馬趙馬でも、字義的に示すものは同じということになります。
が、みなさんいかがです。 同じといわれるとピンとこない感じしませんか。
これなんでなんでしょうねえ。
私見。
リバ表記には、異なる2つの要素が含まれていますよね。
「趙馬趙」を例にすれば(これがしっくりこない方はすいやせん)、趙雲の略語としての「趙」、馬超の略語としての「馬」。
または「趙馬」と「馬趙」。
字義的に同じであるはずの「趙馬趙」と「馬趙馬」を、同じものとして捉えることが難しい。
その理由はおそらく、最初に来ているカップリングとして認識される文字列が「趙馬」であるか「馬趙」であるかによって、印象が変わるからかな、と。
基本的にカップリング表記に記載される人間(あるいは生物とかそれに準ずるもの)の数は2つです。
それを知り、かつ「趙」が趙雲の略語、「馬」が馬超の略語だと認識する人は、まず「趙馬趙」の「趙馬」までを読んで、あー趙雲がヒダリガワなんだな、と認識する。
リバ表記における最後の文字列、「趙馬趙」の2つ目の「趙」は、いわば追伸に近い。 ポロリもあるでよ、くらいのもんで、それ自体にも影響力はあるけれども、付け加えられたものに過ぎないというか。
書いた方がどうかは置いておいて、見る側としては、そういう感じになるのかな、と思います。
おそらく、書く側にしても同様(というか、見る側よりも気を遣っているかもしれません)。
私の場合は趙馬スタンスが長いので、趙馬趙という表記のほうがしっくりします。 馬趙も好きですが、馬趙馬というのは、やはり違和感がある。
といっても、おそらくは慣れです。 昔、趙雲がデフォルトミギガワだった頃(ほんとにはまりたての頃。ピ――年前)は、馬趙馬という表記をしてた気がします。
これが、2者の関係がまったく定まっていない場合だと、また少し違うかもしれませんが。
こんなことをかんがえたよ、という、まあ、にっきだ。(笑)