忍者ブログ

ちとにっき

永遠に 生きるがごとく 夢をみる !

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

ちとじるし

ハガレンの新刊をやっと読みました。 次で完結か…。
めずらしく、1巻出たての頃から欠かさず単行本買ってる作品です。

ダークファンタジーと銘打ってあるけど、ダークっていうかこういう、骨太ーなファンタジーってすごくすごく面白い。
こういうおはなしを書きたいと強く思う。

ついでにこう、そういえばこんなことを思ったな、という漠然としたはなしですが。
文字での描写についてのこと。

対象のある要素について描写する際に、絵よりも文字のほうが原則としては端的だと思うんです。
文字で「美しい」と書くことと、「美しさ」を絵で描写することだと、絵で描写するほうがずっとむずかしいんですよね。
けれども、「美しい」という単語と、「美しさ」を表現した絵、というのは、イコールではない。
絵は記号としては抽象的であるけれども、その実「美しさ」という要素について「美しい」という単語よりも如実であると思います。
文章で「美しさ」を描写するには、やはり絵と似たプロセスをたどらなければならない。 「美しい」という記号化した言語に集約されているものをいったんバラして、それらをパーツとしてならべて置いてみる作業が必要になる。
「どのような」というものが、非常に重要になってきて…。 名詞の選択のみならず、副詞や接続詞、あるいはそれらの順序、あるいは用法。
そういったものを巧みに操ると、「美しい」という言葉を一度も用いないにもかかわらず、読んだ人の脳裏に「えもいわれぬ美しさ」みたいなものを呼び起こすことができるのではないか、と思うわけです。

…あっ。 これって当たり前のことか?(←)
まあ、あれです。 「ナニを描けばエロくなるというものでもない」という、某漫画家さんの言うとおりだな、と思ったわけです。 人間の想像力をかきたてるえがきかた、が、なによりも大事だと。

こう…「記号化してしまったもの」っていうのを使うのがあまり好きではなくてですね。
借り物として使ってもある程度旬というか、そういうものって好きじゃないです。
自分がいいと思うものだけを使いたい。 その言葉を、自分の中で独自のニュアンスを持って使用できるなら、流行語でも平気で使おうと思うんですけど。
記号化されるにしても、どこかに「自分印」がないとつまらないんでしょうね、と、自分めんどくせえなあと思います。(←)

そんな自分がきらいじゃないっていうのが手に負えない。

拍手[3回]

PR

Copyright © ちとにっき : All rights reserved

TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]