倉庫の整理をしていたバーバラは、離れた場所におくすりの瓶が転がっているのに気がついた。
拾い上げて、おかしいな、と首を捻る。
そのおくすりの瓶は、入り口のすぐ脇に落ちていた。 確かにおくすりは需要も高いから、すぐに取り出せるように手前のほうに置いてある。 だが、その場所は通路のすぐそばではない。 こんなところに転がるようでは、倉庫に来た客がうっかり踏んでしまいかねないからだ。
腑に落ちないながらも、バーバラは深くは考えず、その瓶を一番上の箱へともどした。
*
「マコトー! おくすり!」
「はいよ!」
おくすりや特効薬は、魔物の出る危険な道中には欠かせない。 今日もしっかりと、バーバラのところから回復薬を補充してきてある。
カズラーを蹴り飛ばしたリカが伸ばした手に、マコトはすかさず袋から取り出したおくすりの瓶を投げる。 きれいに放物線を描いた瓶が、狙いあやまたずリカの手へと収まった。 ひっくりかえったカズラーに、ユキがあぶなげなくとどめを刺す。
「ユキさんは大丈夫ですか?」
「ああ。 ノースウィンドウまで、あと少しだったのにな」
カズラーの蔦に無数に生えているちいさな棘と粘液は、馬鹿にしてはいけない殺傷力がある。 傷ができると、そこから毒物がまわって腕がはれ上がることもあるのだ。 うっかり腕に巻きつかれてしまったので、予防のためにとリカはおくすりの瓶の蓋をあける。
放り投げた荷物を回収し、のんびりと会話をしていたユキとマコトの耳に、んん?といういぶかしげな声がきこえた。
「どうした?」
「…なんかこれ、味が違う…気が」
「えっ? おくすりの?」
「うん」
瓶を片手に首をかしげているリカだが、飲めない味ではなかったらしく、そのままこくこくと飲み干してしまった。
「ええ、大丈夫なの?」
「大丈夫だろ。 たぶん、ちょっと古いやつだったんじゃないかな」
「あとで腹壊したりしてな」
「平気平気。 俺、胃袋頑丈だから」
古くなった薬って、むしろ毒なんじゃ…と、少々不安になったマコトだが、当のリカがけろりとしているので、特に気にしないことにした。
とりあえず具合が悪くなっても、ノースウィンドウまで帰り着けばなんとかなる。 三人は道中を再開した。
リカの身体に異変が起きはじめたのは、それから数時間経ってからのことだった。
なんだか身体がだるい、と言い出したのだ。
「風呂に入ったからじゃなくて?」
「うーん…なんか、そういうんじゃなくて…どことなく、気持ち悪いというか…」
「湯当たり…ってわけでもないか」
長い時間浸かっていたわけではないので、のぼせたわけでもなさそうである。
が、確かに億劫そうだった。 サラダをつつくフォークを握っている手も、心なしか力が入っていない。
「やべ、口に出したらほんとに気持ち悪くなってきた気が」
「え、それまずいよ、休んだほうがいいって」
まるで自分のことのように慌てて、マコトががたり、と席を立った。 いつもなら、それなりの怪我でも大丈夫と流してしまうリカが、はっきり気持ち悪いと言うくらいなのだ。 相当しんどいに違いないと踏んでのことである。
実際、そうかも、と素直に返しているのだから、これは確定だ。
「歩ける? 肩貸そうか?」
「ん、大丈夫だよ。 ちょっと寝たらすぐよくなるって」
「気をつけろよ。 あとで消化にいいもん、作ってもらっとくから」
「おー、ありがとユキ」
レストランの扉をゆっくりと開けて出て行くリカを見送り、ユキとマコトは顔を見合わせた。
「…あのおくすりか?」
「…やっぱり、なんか変なもの入ってたんじゃ…」
マコトとユキもそうだが、リカも滅多なことで体調を崩すような身体の鍛え方はしていない。 今回の外出も、疲労が蓄積するような過酷なものではなかった。
それに、つい先ほどまでいつものように元気だったリカが、こんなに急に具合を悪くするなどと。 思い当たるとすれば、ひとつだけだった。
「…面倒なことにならないことを祈るか」
「ホウアン先生、呼んだほうがいいかなあ…」
一応、深刻な事態を想定してはおいたマコトとユキだが。
事実は小説より奇なり。 現実は、二人の予想のななめ上を飛び越えていくことになった。
*
「リカ、入るぞ」
宣言どおり、ハイ・ヨー特製の雑炊を手に自分とリカの部屋へと戻ったユキは、なんとなくひと声かけてから、ノブを回した。
休んでいるなら、眠っているかもしれない、と、そう思ったからだ。
しかし、その気遣いは、別の方向へと効果をもたらした。
ドアを開けてリカの姿を捉えるまでの短い間に、わあああ!というリカの悲鳴と、ばさばさ、という布がはたきまわされるような、妙な音がする。
何をそんなに慌てているのかと、ユキは疑問に思った。 いまさら、見られて恥ずかしいようなことのある仲でもあるまいし。
結局、ユキの目に映ったのは、布団にもぐりこんだリカの姿だった。
「ハイ・ヨーが雑炊作ってくれたぞ」
「……あ、ああ、うん…ありがと」
布団から顔半分だけをのぞかせて、サイドテーブルに置かれる雑炊を目で追うリカ。 やはり、様子が妙だ。
いつもなら、雑炊とか聞いた時点で、やっほー!とか跳ね起きそうなものである。 それが、雑炊とユキと、それから扉や天井へと視線をさまよわせるだけで、起き上がろうとするそぶりすら見せない。
さきほどあれだけ大きな声をあげていたのだから、気分が悪いのは落ち着いているはずだ。 向かいのベッドに腰掛けて、しばらく様子を見ていたユキだったが、リカが一向に動こうとしないので、痺れを切らした。
「…食べないのか?」
「あ、ええと…うん、た、食べたいのは…やまやまなんです、けど…」
要領を得ない受け答えにユキが首を傾げると、意を決したような目が、ユキを捉える。
「ユキ…あのさ、ちょっと…手、貸してくんない」
「へ? いいけど…」
何かと思えば、さっぱり脈絡のないことを請われた。 手を差し出したユキに、そうじゃなくてと、リカは手のひらを自分に向けるように指示する。
言われるとおりにしたユキの手のひらに、ベッドからするりと出てきたリカの手のひらがあわせられる。
なにやってるんだ、と、ユキは再三首を傾げたが、リカはその手のひらを、深刻そうな顔で見つめている。
「……ちっせえ…」
「……は?」
「マジかよ…うそだろ」
「…どうしたんだよ」
そっと離れてベッドへと戻っていった手のひらを見送り、リカを見ると、いつになく真剣な顔でユキを見ていた。
ほんの一瞬気圧されたユキを見たまま、リカは深呼吸でもするように、大きく息を吸った。
「ユキ」
「…なに」
「驚くなとは言わない」
「……へ?」
リカが、ひと息にベッドから身を起こした。 弾みで、身体を覆っていた羽毛布団が落ちる。
起き上がったくらいで何を驚くものか、と、返そうとしたユキの目が、ある一点で留まる。
なにか、おかしくないか。
いつもの服から、すっきりした鎖骨が見える。 きれいに絞られた肩のラインも、普段どおりのリカだ。
しかし、その、なにか、そこからすぐ下のところに、ありえないふくらみがあるような気がするのは、俺の目の錯覚か?
凝視しているのがどこなのか、すぐにわかったのだろう。 リカはそれがタネも仕掛けもない本物だと示すように、腕を組んで、引っかかるものを押し上げて見せた。
「俺、女の子になっちゃったかも」
「………」
かも、じゃないだろ、と、非常にどうでもいいツッコミがユキの脳裏をよぎった。
固まってしまったユキの前で、リカはその、男に生まれたならば一生得ることのなかったはずの胸部の塊の感触を、むにむにと確かめている。
「これ、やっぱどう見てもムネだよな…。 思ったよりやわらかいっつーか、かたいっつーか…」
いや、おい。 意外に冷静だな。
というか、もとが男だからって、その仕草はやめないか。
かつてないほど脳内会話が活発になっているユキの前で、リカは、あ、と思い出したように真顔で付け加えた。
「もちろん、下もないですから」
「……あ、そう…」
胸を握ったまま真面目な顔をしているリカと、同じように真面目な顔のまま、硬直しているユキ。
カァ、と、窓の外で、カラスが間抜けに鳴いた。