そのあとの(NHKの)芸術劇場を、ねむくて録画だけしてリタイアしたところなのですが。
父も母も音楽には理解のある人間なので話が通じるのですが、現代曲に関する見解だけは一致しません。(笑)
特に母は専門的な勉強をしてきた人なのですが、一番すきなのは古典派からロマン派だそうで。 ピアノ科の卒業生ですがプロコとかにはまったく面白味を感じないそうです。 ギリギリラヴェル。 あまたの作曲家の中でも、いつの間にかラヴェルのCDばかり買いあさっている私とはまったく違う…。
プロコのコンチェルト2番とか面白いじゃないか…バルトークとかさあ…。 クセナキスなんかこの前やったけど、あんなん超難解ですげえ面白いじゃないか…。
そんな母の腹から生まれたはずのわたしがそうでもない…というのは、もしかしたらこれもジェネレーションギャップかもしれないなあ…とか思います。
今日はロスフィルの若き指揮者ドゥダメルでしたが、『シティ・ノワール』なんてほんとに現代曲だったので、これは母と見ても見解が一致しないだろうと思いました(笑)
現代曲の面白さというのは、叙情的な部分(いわゆるメロディーや和声進行の美しさ)ではなく、構造的な部分にあるのではないかと思います。
音楽というのは多分に感性を含むものではありますが、現代ではその中にも構造的な部分が解析されつつあります。(たとえば、いままで精神的な疾患と思われてきたうつ病に、脳科学的な見解からの治療法が研究されているのと同じように)
音楽あるいは芸術という分野を論理的あるいは科学的に分析、あるいは構築しようとする試みは、学問的には発達した試みと言えるのではないかと思います。
だって、いまさら60年代70年代のポップスを歌ったところで、それは懐メロにしかならないわけですから。
だから現代曲というジャンルの音楽は、これまでのオーケストラで無視されがちだった打ち込み的なリズムのシビアさ、あるいは人間を安心させる和声進行を裏切る、ある意味では不愉快な音階の構造を念頭に置いた上で演奏すると、その面白さが初めてわかるのでは、という気がします。 スコアに描かれた絵画を理解することが、現代曲の理解への第一歩なのでは、という気がします。 ゆえに現代曲は、事前の準備と訓練が必要になる。 ゆえに、本当に現代曲の面白さを引き出した演奏ができるのは、もしかしたらプロよりアマチュアなのかもしれないとか、不遜なことを考えたりします。(アマチュアはプロに比べて、バンドとして一つの曲を吟味する時間が長いから)
ついでにいうと、オケが吹奏楽にくらべて勝ると(一般的に)いわれる理由は、単にオケのほうがヴァイオリンなど核のサウンドを作る人数が多くて、多少の音程のズレが気にならない+多人数による音圧の上昇にある、と思います。
今後の吹奏楽器は、「オケにおいてはソロ楽器」という考え方を捨てて、吹奏楽というひとつの演奏形態を形づくっていく試みをすればいいんじゃないかと思う。
吹奏楽も150人くらいでやるとなかなかの厚みが出るものだし、いくら人数が多くたって下手なオケの演奏を聴くと百年の恋も冷めるってものだ。