演奏にかかわりを持ったことがあるかたは、もしかしたら感覚としてご存知かもしれませんが…。
人間の音程感覚やリズム感覚というのは、体調によって著しく左右されるんですよね。
たとえば、お酒を飲んだとき。
酔っているとき、あるいはそれが醒めて、酩酊感、あるいはそのあとに残る悪性の酔いだけが残っているとき(要するに二日酔いのとき)は、相対的にリズムは速く、音高は高く感じるようです。
ようです、というのは、じぶんがそうで、いままでかかわりのあった音楽を生業にしてるかたがだいたいそうだったからなんですが。
飲み会明けのときっていうのは、ピッチがやたら高く聴こえるんですよね…。
同様に、身体が起きてない、あるいは休息を欲している状態のときは、テンポってのはより速く感じるようになります。
たとえば朝起きたとき、あるいは酔いがさめかけているとき。
これは経験則なので、違うというかたがいる可能性を無視できないのですが、わたしが特別であると思う理由もないので、おそらくある程度の普遍性を持った感覚だと思われる。
これが不思議なのは、夕方仕事をしこたまし終えた後っていうのは、かえってアップテンポだったりします。
どうやら肉体的な疲労とは別次元にあるようなんですよね。
そのあたりのこう…人間の体内リズムと精神快楽をもたらすテンポっていうのは、かかわりがあるかもしれない…っていうのはまだ、科学的に解明されてはいないのですが。
そういうところのはざまにあって、人に心地よいと思わせるテンポを設定できるのは、これはもう指揮者のセンス以外のなにものでもないなあ…とか思ったり。
マクダウェル風にいえば「徳」ということになるのだろうか。 それが善だとさとるちから。
同期会で調子よく飲んでさわやかに帰ってきてこんなはなしをしてみた。
いやあ…やはり飲み会はいいものです。 飲みュニケーションとはよく言ったものだ。
酩酊は人間の感性が神に近づくための手段のひとつだと捉えます。
昨今は度を越した酩酊に厳しい世の中ですけども。 まあ、いいんだ、それは。
素面が酩酊よりまさるという、一般的な意味での理性>本能主義を撤廃すべきだ。
お酒がのめなくて素面でいるのはかまわないけど、素面であることがさもステータスであるかのように酩酊した人に対するのはやめてほしいと思う。 と思う。
なにごともそうですが、相手に対する敬意と誠心がだいじですね。
とか、酩酊した人のひとりごとです…。 流したって…。
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