ゴタゴタというのは、実は祖父が急に亡くなりまして。
以前から次に体調を崩したら危ないと言われていたのですが、昨日の夕方頃急に容態が悪化して、私が電車で向かっている間にポックリと逝ってしまったようなのです。
看取った他の家族の話を聞いても、あっという間だったそうです。
で、孫代表の挨拶をなぜか私がすることになってしまいましてですね。
これからお通夜なので、明日の葬儀で読むのですが。
孫の手紙というのは、どんな葬儀でも涙を誘う場面だそうなのですが、そんなん私が泣くわ! アホ!と思いながら、文案を考えていました。
でも、泣くのは構わないのですが、悲しみばかり強調した文にしたくないというのが本音で。
知らせを聞く直前に、私なぜかキケローの「老年について」を読んでいたんです。
老いては死の遠からざらんことを嘆くけれども、老年が死にいたるのはほかのどんな別れよりも自然のことであり、それは不死なる魂の世界への旅立ちであるから、何一つ嘆くには至らない、というようなことが書いてありまして。
じいちゃん82だし、たしかに晩年病気ではあったけど、よう生きたなーと思うところもありますし、だからなるべく幸せに送ってあげたいのです。
祖父がもう長くないと言われた時からずっと思っているんです、祖父と私はしばし別れをするだけで、また会えるのも遠からぬことであると、祖父は天から与えられた使命をまっとうして、これからその褒美を受け取りに行くのだと。
あ、どっかの宗教の影響とかじゃないですが。
あえていうならコスモポリタニズムというか、アニミズムというか、とにかく、老年にいたってよりの死とは嘆き悲しみ、忌み嫌うべきものではないと、そう思いたいのです。
でもそれって若い孫の話として通用するんだろうか…と不安…。
まあ、兄弟や従姉妹とまだこれから相談なんですがね。
そして私がそれを読んで泣くかどうかはまた別の問題…!(ぎゃー)
とりあえずそんな感じ。 もうちょっとがんばってきます。
お目汚しでした…!