地球上からいっさいの生物が死滅したとするね。
――いきなり、何さ。
そのとき、それでもなお夕焼けは赤いだろうか。
…というのは野矢茂樹先生の著書『哲学の謎』第1章「意識・実在・他者」の冒頭ですが。
ふいに動画サイトで見かけた「色弱のひとだと見える数字」の動画。
わたしは緑色の画像だけ数字が見える。 ほかは全然見えない。 全然見えない画像にもどうも数字が書いてあるらしい、それを鮮明に読み取ることができる人がいるらしい、ということにほほーうとなったわけです。
逆に言うと、わたしが難なく数字を読み取ることができた画像がただのモザイクにしか見えないひともいるんだな、と。
色弱って正確にどういうことなのかよく知らんのですけど、だからどうってほどのことでもないんだな、とは思った。 というか、色の見え方って個体によって違うんだな!ってことを実証的に知ったというか。
それで上の文章を思い出した。 まあ、このくだりの趣旨は、その色を「赤」と呼ぶ存在が消滅したとき、その色に「赤」という名前はあるのか、プラトンでいうところの「赤のイデア」は、現象世界においてそのエイドスたる色を認識するものが存在しなくとも「赤」として存在することができるか、ということなんですけども…(わたしが説明するとすっごいむずかしくなる件。 修行たりない)
われわれが見ている世界というのは必ずしも同じものとは限らない、でも違うかどうかを確かめることは不可能…というのを、理論上は納得していたものの、実際に見ている世界にはっきりと個体差があるということを目の当たりにして、感心してしまった。
当然他の人の知覚をそっくりそのまま体験することって不可能なんですけど、そうであるからこそ面白いんだなあって思います。 われわれは非常に近く、同じであるようでいて、その実個体同士は決して融合したりすることなく並び立っているのですよ。 個体と個体の認識の間には決して越えることのできない壁のようなものがあって、でもその壁がなんとなく透明っぽくて、相手のことがわかるような気がしてしまうから、人間って面白いなあって思う。
あ、野矢先生の件の本もとってもおすすめです。 わたしいまのところ、これよりわかりやすくておもしろい哲学の入門書は知らない。 ショートしない程度にあたまグルグルする…ってなるので、哲学の面白さにハマっていただくにはいいかなあって感じです。(ハハハ)
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