またもやひねくれ坊主のようなことを書きますが。
義捐金詐欺やらガソリン抜き取りやら、なんかこうあれですね、日本人ってちょっとおちつかないと悪事を働こうって気分にならないのかしら。 じゃあずっとあくせく働いてたほうがいいですね。
ところで、その募金箱を盗んだり、募金を騙って金を集めようとして失敗したっていう話ですが。
なんかアレよねと思う。 こう…そういうはなしを聞いて「ひとの善意を踏みにじる行為だ」とか言っちゃったり、義憤に燃えたりなんかしてみちゃうの、まあ、ごもっともなんですけど、なんか違うような気がしてだな。
これわたしだけなのかどうかわからないけど、むしろそんな、5,000円とか、そんな金額でその後の人生ぜんぶに「盗みをはたらいたやつ」「詐欺をはたらいたやつ」っていう烙印を捺されるんだなあってことが気の毒でならない。
だからって多目に見てあげようとかってんじゃなくて、ただ、そんな簡単なこともわからないなんて、かわいそうなひと、って思うだけなんですけど。
「人は愚かだ。 苦しければ、なお、愚かになる」ってことか。(でどころのわかるひとはいるんだろうかね)
すくなくとも、いまのわたしには前科を背負って生きる覚悟はないです。 ので、どんなにちっぽけであっても、わたしののこりの人生にケチがつくようなことはしたくないなあと思います。
あと、そんな5,000円ぽっきりで、なんて言っちゃったけど、この5,000円、ただの5,000円ではない。
善意というおんもーいものがくっついているのですよ。 そのおもさプライスレス。
でも、これもなんだかなあっていうか、そもそも善意のあるべきかたちとは…みたいなことを考えてしまいますよ。
募金に対して寄付をする、もちろん困ってる人のためになればいいと思う。 でもそのお金の使われかたまで気にするのって、それ寄付じゃなくて見返りもとめてるだろっていう気分になるわけでしてね…。
わたしは気にならない。 どうして気にならないかというと、どっか違うとこ行っちゃったって気にならない程度の額しか寄付してないからです。 いばれることじゃないけど、精一杯やってるって思うからね…。
でも寄付ってほんとはそういう範囲でいいんじゃないかって思う。 「喜捨」っていう。 よろこんで捨てましょう、っていう字面に見える。 捨てられる程度の額でいいんじゃないのかね。
法人ならいざしらず、個人での寄付なんて、ビジネスじゃないんだからリスクを感じる額の出費なんてしなくていいと思うんだよな。 それは経済的にとかじゃなくて、精神的にもね。 もらう側にしたって、もらったお金がじつは断腸の思いで寄付されたものだった、なんて事実があったら重いだけじゃないのかね。 もらったひとは一生、それをありがたがって生きていかなきゃいけないよ。
それって負債じゃね? 助けるつもりが負担を残すことになってね?とか思いますよ。
値段がつかないってことは、価値なんてないも同然ともいえるわけでね。 わたしがへんだと思う理由は、なんとなく、世間一般で、みんな言ってるから、そんなふうになってるってことなんだよな。
その「善意」の価値、誰が決めた? すくなくともわたしはそんなこと言った覚えはない。
まあ要するにだな。 ひいきの引き倒し、小さな親切大きなお世話、虎の威を駆る狐。
善意ってものこそいちど本気出して考えてみないと、かえってひとに迷惑かけんじゃねーかな、ということでした。
よのなかウィンウィンを目指す時代じゃん☆ なーんつってーなー。(←)